僕がRICOHのGRを使う理由と、写真を撮る理由

僕の本職は会社経営で、会社を作ったばかりの頃はイベントの記録撮影や宣材写真の仕事をしたこともあったけれど、本格的に写真で仕事をしたことはありません。ただ、写真を撮るという活動をしていたことで、思うところがあって、仕事ではなく写真を撮ることを続けています。そのパートナーが、GRⅢxです。

SONYのαシリーズを会社や仕事ではよく使いますが、毎日持ち続けているのはGRです。初めて買ったカメラは2008年製PENTAX Optio M60というやすい小さいコンデジでしたが、その当時も毎日のように持ち歩いていたのをよく覚えていて、当時も今も、写真を撮る目的は変わっていないように思います。
初めて買ったPENTAX Optio M60(GRⅢxで撮影)

写真好き、カメラ好きと言っても

ざっくばらんに言ってしまえば、僕はカメラという機械が好きなわけでもないし、好きな写真家がいるわけでもありません。SONYのαを仕事では使ってはいますが、それは優秀な仕事の道具だし、写真家については、知っている人もそう多くありません。写真を撮ることはもちろん好きです。けれど、好きというのは色々な解釈があると思います。

見た目に綺麗な写真なら、デジタルの今なら多少カメラを使っていれば出来るようになります。前にボケたり後ろにボケたり、光と影を理解したり構図を真似たりすればそれなりには綺麗な画に撮れます。しかしそこには、僕はあまり意味を見出してはいません。

それよりも、自分が何を見て、何を思って写真を撮ったのかが大切だと考えています。シャッターボタンは感性の引き金だと僕は思っています。時間と空間をフレームに閉じ込めたものが写真だから、その瞬間の自分の感性がどう揺れていたのかがわかるのです。
裏を返せば、感性的な広がりがなく、感情や思考の粒度が低い時、写真は素直にそれを出してきます。僕はそこが好きなんです。

会社経営と写真

ところで、大袈裟と言われるかもしれませんが、会社経営という仕事は一つの作品作りだと僕は考えています。ヒトモノカネというような言われ方をしますが、それらを丁寧に見定めながら、自分が思い描く世界を企業を通じて表現することが会社経営だと考えています。
仕事においても常々、感情や思考の粒度が低い時を感じることがあります。そういうときは、ヒトモノカネがうまくいきません。写真は、それとよく似ているんです。

写真は絵や文学とは違い、環境があって初めて成立する活動です。言ってみれば、制限があります。もちろん厳密に言えば全ての活動には制限がありますが、そこに何かがないと始まらないのが写真です。
与えられた環境の中で写真を撮るというのは、与えられた環境の中で事業を営むことと僕は似ていると思っています。経営も、与えてもらったヒトモノカネで何を成すかを考えなければなりません。

そして、それは自分自身にも当てはまります。人間、与えられた手札の中で生きるしかありません。たとえどんなに才能に恵まれていなくても、どんなに不自由があったとしても、その環境で生きていくしかないんです。しかし、与えられているものは必ずあるから、それを見定めることが大切なことのように思います。

だから、写真の上手い下手は僕にとってあまり意味を成しません。何を指して上手い下手というかはいろいろな解釈がありますが、写真を通じて自分の感情や思考の粒度を見ることが僕にとっては大切だと思っています。

GRと僕

僕がGRに感じる哲学や、惹かれる理由はそこにあります。感情の引き金を、引きたいと思ったときに最短経路で引くことができる。瞬間瞬間の感性を閉じ込めるまでの引っ掛かりが少なく、持ち運び易さも含めて徹底されているように思います。

スマホでいいじゃん。と思うかもしれませんが、スマホのロック解除とカメラアプリの起動よりも、GRは早いです。それでいて、見た目にも美しく感性を閉じ込めるに十分な画が撮れてしまいます。

自分の周りにある環境は変わりません。環境はただそこにあるだけです。ただ、何を「見た」のか、は変えることができます。「見えた」だけでは意味がありません。目に見えたものをぱちぱち撮ることが良いのではなく、そこに自分は何を見たのかという能動的な営みが大切で、写真はそれを教えてくれます。

僕自身が見たものを写真に出す、ということは、僕自身を見つめる、ということ、もしくは僕自身を見せるということにもなります。自分の感情や思考を突き詰めていくことが写真には必要であり、それと同時に写真はそれを自分に突きつけてきます。

だからこそ、いつも撮れることが必要なんです。いつも撮れて、いつも自分を見つめ返せる。ひとつの物差しのようなものです。GRの一番素敵なところはそこにあります。

感性の引き金としての役割も、機動性に優れるその機能も、見ているものを邪魔しないようなその真っ黒なボディも、一貫した哲学と、文学のような芸術がGRには流れています。僕はそこが好きです。

でも好きだからちょっとだけ、自分好みにしたくなっちゃいましたけれど。
2022-09-22|
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