起業家は会社という作品を作っている。

スティーブ・ジョブスは製品のパッケージを「ユーザーとの最初の接点」と位置づけ、プレゼントを開けるような体験価値をそこに施していたという。

が起業をしてから、早いもので7年になります。映像制作会社(株式会社LIVEUP)を経営しています。残念ながら現在のところは、才能のある起業家とは言えず、僕が原付バイクならば、周りの起業家はフェラーリといった具合に、いろんな起業家が僕を置き去りにびゅーんと走り去っていくのを目の当たりにしています。

平凡な僕と未来の影

僕が新卒の頃というのは、就職氷河期の雪解けが見えないうちに、追い打ちをかけるように東日本大震災が起こった直後でした。有効求人倍率は限りなく1に近いブルー状態で、どうにかこうにか滑り込みで就職をしたものです。

しかも時代は、終身雇用もなくなりつつあり、給料も上がらず、肉も野菜も高くなるし、親も長生きするだろうと言った具合に、お金はないのにお金がかかることがたくさんあって、多くの不安を僕に植え付ける状況にありました。

ただそれ以上に、自分自身の未来に対して、何かもやもやとした影が差すような、どんよりと重たい空気を感じていました。子供の頃から、野球が上手でもなければ、算数で満点を取るような生徒でもなかった僕は、平々と凡々のあいだで27年間も生きてきたわけです。

小さな成功体験

能力が原付バイクの僕は、当時本当にバイクに乗っていました。25万円のバイクを5年ローンで買って、それでキャンプに行くのが唯一の楽しみでした。当時、バイク乗りの間でヘルメットに取り付けるウェアラブルカメラ( GoProとか)が流行っていて、僕もそれをヘルメットにくっつけて、思い出作りの一環で動画を撮っていました。

ある日、僕はソロキャンプに行こうと思い立ち、それを映像に収めておこうと考えました。ツーリングからのキャンプの様子を撮って、1本の動画にしようと思ったわけです。当時僕はHONDAのグロムというミニバイクに乗っていたのですが、HONDAのバイクのコマーシャル「バイクが、好きだ。」のオマージュをして、解散してしまった好きなアーティストの曲をつけた動画を作ったのです。その動画がこちら。

今見返してみると「ヒエエエエエ!!」という感想にしかならない大作ですが、撮影のカメラアングルも編集も酷い有様です。でもなんだかすごく楽しい仕上がりになっていました。この動画は事情があって上げ直しをしたものだったのですが、元の動画は1万回以上再生もされて、「楽しそう」「グロム(バイク名)のCMみたい」といったコメントがたくさん寄せられていたことを記憶しています。

些細な起業理由

平々と凡々のあいだの僕は、味を占めてしまったんですね。なんかわからないけど楽しかった。1万人もの人が見てくれた。感想もくれた。これといった成功体験のなかった僕にとって、側から見ればこの些細な出来事は、とても貴重なものに思えたのでした。

そして平々と凡々のあいだの僕は、冷静と情熱のあいだで冷静さを失って情熱が勝ってしまった結果、映像制作で自分で商売をやってみよう。起業してみようと思い立ったわけです。幸い、動画のとれる安い一眼レフは持ってました。GoProも、編集するパソコンも持ってました。とりあえずそれ使ってやってみようと、そう考えたのです。

当然ですが制作会社にいたこともなければ、商業用の動画を作ったこともない、ズブの素人の中の素人です。ドラクエでいえばレベル1、「ひのきのぼう」で最初の森の中に突入した感覚です。

ただ二つだけ、運が良かったことがあります。一つは直前に映像関連のサービスをやっている会社でマーケターをしていたことでした。その縁で、最初は仕事を獲得していました。そしてもう一つは、頭のおかしな(褒め言葉)親友が一緒に起業してくれたことでした。そして彼もまた、素人の中の素人でした。

起業は実戦と実践の中で

しかし当然、前職の仕事だけで食べていくことはできません。親友と二人で、あらゆる手を使って仕事を探しました。時には趣味でやっている年配の方のバントのライブ撮影、またある時には幼稚園のお遊戯会、一般個人の方のプロフィール写真撮影など、できる仕事はなんでもやりました。

それで得たお金で、カメラや三脚、照明といった装備を増やし、機材を運ぶための走行距離15万キロ以上のボロボロの車を買って、少しずつ実績を増やしてきました。さらに、「なかまになりたそうにこちらをみてはいない」動画のプロの人たちを無理やり巻き込んで、色んな撮影や編集をできる環境を整えていきました。

当然、僕と親友はズブの素人の中の素人なわけで、プロの方にはたくさん叱られました。当時の僕は会社にいく時にコンビニでパンを買って移動しながら食べ、仕事をし、帰るときにコンビニでパンを買って帰路につく間に食べ、それ以外は全て撮影や経営の勉強、仕事をしていました。それでもやっぱりプロのスキルには及ばず、たくさん叱られました。でもなぜか「なかまになりたそうにこちらをみてはいない」はずの皆さんが仲間になってくれました。仄暗いトイレもない雑居ビルにある映像制作会社に、たくさんの人が力を貸してくれるようになりました。

お客さんとの最初の接点は最高のきっかけに

僕が一つだけ当時から大事にしていたことがあります。それはお客さんでも、力を貸してくれようとする仲間でも、「最初の接点」をとても大切にすることです。それは特別に自分を大きくすごく見せたりすることではなくて、言葉ひとつ、一挙手一投足、そういったもので「心地よさ」を感じてもらうよう心がけることです。言葉遣いや仕草、雰囲気、容姿、服装に至るまで、何かわからないけど特別であるような、「あなたと会うことは僕にとって特別である」と感じさせる振る舞いを心がけています。冒頭のスティーブ・ジョブスの伏線を回収してるわけですが、僕にとって「最初の接点」を磨くことは、平々と凡々のあいだにいる僕にできる最高の先制攻撃であり、最大の武器だったのです。

「こうかはばつぐん」でした。僕はこの感覚をホームページや会社資料など、未来のお客さんの「最初の接点」にも応用しました。しかし当然、それはお客さんや仕事仲間の信頼関係を築く上での最初の一歩に過ぎません。接客の質が最高であっても、味が最悪なレストランでは客足は遠のいてしまいます。当然サービス自体の質も高める努力も惜しみませんでした。

質の良い動画を作るだけで制作会社は成り立たない

サービスの質というのは、僕たちでいえば「よい映像を作ること」となるわけですが、当然それだけでは足りません。いい映像を作る人は世の中に星の数ほどはいませんが、それなりにたくさんいます。だから、お客さんとの対話や、メールの文章、電話応対、当たり前にあるそういったものの誠実さを磨く努力もしました。いってみればそれは、「ひとつまみのスパイス」であって、「他と何が違うか言葉では言い表せないんだけどウマい」。そういうものです。

映像屋がいい映像を作るのは当たり前であって、それだけで良い会社になるかというと、そうではないと僕は思っています。今をときめく大谷翔平選手のように160kmのボールを投げて160mの打球を飛ばす桁外れな力を持っているなら話は別ですが、今をときめかない平々と凡々の僕にとっては、投げるためには相手のリズムを崩さなければならないし、打つためにはバントのふりをしたり揺さぶりもかけないといけないわけです。なんだか騙眩かすテクニックの話みたいになっていますが、要は「表に出る実力の部分にプラスα」を入れないと生き残れないわけで、それが実は大切なのではないかということです。

それが僕にとっては誠実さであり、「全ての」当たり前のことを当たり前にやるということです。当たり前を当たり前にできる人はあまりいません。まして、全部となるとできている人は本当にいないと思っています。僕もいまだにできているとはいえません。

起業家は芸術家

経営哲学などというものは僕にはまだまだ程遠い境地ではありますが、僕が商売をする上で大切にしていることはこういったことです。経営は色んな失敗やその中で生まれる課題をどうにかこうにか乗り越えながら、自分なりの哲学や美学というものを作り上げる作業のように思います。目からウロコが落ちる発見もあるし、鼻からスイカを出す苦行もあるわけです。

起業家にとって起業した会社というものは、頭のてっぺんから尻尾の先まで、全てひっくるめて「作品」だと思います。どんなに細かいところでも、自分の作品だから目を光らせるし、目を背けたくなることがその中にあったとしても、見て自分なりの答えを作っていかないといけない。「神は細部に宿る」という言葉がありますが、本当にその通りだと思います。この格言もスティーブ・ジョブスは体現していたし、好んでいたようです。

偉人と僕の共通項を指し示すことで小さな自尊心を満たした上で文章の締めに差し掛かっているところではありますが、起業家になったということは、僕の中にある外的な眼でみることのできない内なる抽象的な「価値」を、「会社」という形を通して外部と呼応させるような、一種の芸術活動をすることだと思っています。起業家というのは会社というキャンバスを使った芸術家なんです。

2022-11-14|
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